奥田佳道のコメント(楽曲聴取メモ)
2023年11月25日土曜朝
NHKのラジオで
チャイコフスキーの楽曲を聴いた。
奥田佳道による解説を記録に残しておく。
最初の曲は「ピアノ協奏曲 第1番 変ロ長調 作品23」
解説:
この曲は1874年秋に作曲が開始された。
チャイコフスキーこの時34歳、
モスクワ音楽院の教師をしていた
当時の院長はニコライ・ルビンステイン
歴史的なピアニストであり、彼の恩人でもある。チャイコフスキーの活動に手を差し伸べた。
チャイコスフキーはその恩師に献呈すべく曲を書き、彼の前で弾いた。
が第一楽章が終わったところで
ニコライは手厳しく批判した。書き直すべきだと語ったと伝えられている。
なぜ、酷評したか?
理由はいくつか考えられる。
1)曲の作りが斬新だった。
冒頭部分は、現代のわたしたちにとっては
こころおどる調べでもあるが
1860-1870年代にかけての
ロシアにおけるピアノ協奏曲の考え方は保守的だった。
それで、チャイコフスキーならではの
ドラマティックな響きや構成がネガティブにみられたのかも
しれない。
しかし、彼の批判は
曲の魅力、独創性を別の角度から言い当てたとも言える
2)初稿だったこと。
3)曲の制作を恩師に相談しなかったため、
彼の機嫌をそこねた。
その後、チャイコフスキーは
愛弟子のピアニスト
ニコライ・タネーエフに曲を捧げるべく創作を続けた。だが、実は最初からタネーエフのために書こうとしていたのでは、との文献もある。
いずれにしても、チャイコフスキーは初演のピアニストを探し、その結果
ハンス・フォン・ビューローに決まる。
米初演は
1875年10月に
ボストンで、
ビューローのピアノ
ベンジャミン・ジョン・ラングの指揮で
その後、
N.Y
モスクワ
でも演奏された。
モスクワ初演のピアニストはタネーエフ
指揮は恩人ニコライ・ルビンステインだった。
曲を二度大きく改訂し、現在のバージョンは1887年に完成
第2楽章には
フランスのシャンソンが
引用されている
第3楽章
ウクライナのトレパーク舞曲をベースとした音楽
放送は
アルゲリッチの演奏で
キリル・コンドラシンの指揮、
1980年2月
ミュンヘンでのライブ録音
アルゲリッチ32歳の時の演奏
<ユニバーサル UCCP7003>
「アンダンテ・カンタービレ」
イタリア語の音楽用語がそのまま曲名になった。
オリジナルは弦楽四重奏曲第1番作品11の第2楽章。
チャイコフスキーは妹アレクサンドラが嫁いだウクライナのカミアンカ(ロシア名
カメンカ)を何度も訪れ、彼の地の民謡に親しんでいる。
イヴリー・ギトリスのバイオリン
いわさきしゅく(岩崎淑)のピアノ
<ファンハウス FHCE2026>
最後にピアノ曲を。
1876年に書かれた
『四季』から11月トロイカ
サンクトペテルブルクで創刊された月刊の音楽誌が毎月一曲、新曲を掲載することなり、
その音楽が、気鋭の作曲家だったチャイコフスキーに委ねられた。
(補足:
11月「トロイカ」は、
4分の4拍子
ニコライ・ネクラーソフの詩による。
この曲集でもっともよく知られている曲。
ペンタトニックを用いている。
引用元:
)
四季 作品37bから11月「トロイカ」
作曲:チャイコフスキー
ピアノ:上原彩子
<キングレコード KICC1501>
(補足:放送は、アルバム
2020年1月22日発売
アルバムには四季が全曲収録されている
演奏は2019年10月30、31日 ヤマハホールで
使用楽器は YAMAHA CFX との記載がある
https://www.kingrecords.co.jp/cs/g/gKICC-1501/
上原彩子(1980-)
トロイカについての上原自身の解説
https://barocksaal.com/news/5465/
がある)
楽曲聴取メモAug27'23-EWM
を久しぶりに聴く。
今回は感銘するところが多かったため、楽曲聴取メモとして残す。
ゲストの話、演奏された曲の着想。
司会は指揮者の下野竜也、月一度、月末週の会担当(と推測される)
楽曲情報はNHKの番組ページより。
下野竜也の吹奏楽LOVE 特集・大学吹奏楽〜大阪音楽大学編〜
【ゲスト】小野川昭博(大阪音楽大学特任准教授)
高昌帥(大阪音楽大学教授)
【楽曲情報】
・サンマルコのこだま
演奏者:大阪音楽大学吹奏楽団(吹奏楽) 、 小野川昭博(指揮)
作曲者: ヨハン・デ・メイ
演奏時間:(9分40秒)
演奏場所:〜2022年3月5日 ザ・シンフォニーホール〜
・吹奏楽のための小狂詩曲
演奏者:大阪音楽大学吹奏楽団(吹奏楽) 、 木村吉宏(指揮)
作曲者: 大栗裕
演奏時間:(6分15秒)
演奏場所:〜2005年11月16日 ザ・シンフォニーホール〜
・まじなひ~その参
作曲者: 高昌帥
演奏時間(7分50秒)
演奏場所:〜2021年3月6日 ザ・シンフォニーホール〜
・グリム童話の森「昔むかし、ある所に」からの組曲 から「ルンペンシュティルツヒェン」「眠れる森の美女」
演奏者:大阪音楽大学吹奏楽団(吹奏楽) 、 ヤン・ヴァン・デル・ロースト(指揮)
作曲者: ヴァン・デル・ロースト
演奏時間:(9分10秒)
演奏場所:〜2023年3月4日 ザ・シンフォニーホール〜
◇エンディング
Q:今後の目標(下野)
A:(小野川)
※以下要旨
・今までの指導はトップダウン的だったが、今後は学生自らが考えて演奏できるように指導していきたい。
・今後は作曲家の自作自演シリーズはもちろんのこと、サマーコンサートも実施していき、他の学科とも連携共演できるようにしていきたい
A:(高)
定期演奏会に学生の書いた曲が取り入れられるように指導していきたい。
パブロ・カザルス(4)
◇オープニング
・ピアノ
・海辺
・膨大な数のコレクションを持つパイプ
トレードマーク
・チェロの神様
・情熱的な指揮者
・1876年12月に生まれ
・1973年96歳で生涯を閉じる
・練習を怠ることがなく
「一番古い友達」
・独裁政権
ファシズムに反対
・フランスに亡命
慕う人々が世界中から
・10月22日没後50年を迎える
◇最終日
・平和への想い
・音楽へこめられた情熱
・差別や戦争に反対
・平和主義者として
生涯音楽に情熱を注いだ
・1時間40分
・案内役は東涼子
◇二人のゲスト
音楽評論家の増田良介
◇昨日までの感想
・演奏が素晴らしいのはもちろんだが
いろんな角度から知ることができた(長谷川)
・
平和主義者としても有名
1930年代スペイン内戦
共和政からフランコと人民戦線派との戦争
カタルーニャは反対
難民として亡命する
フランスのプラードに
第二次大戦
ドイツがフランスに攻めてくる
やろうと思えばできたが、プラドに止まった。
できるだけ支援したいと
戦後数年間カザルスは表舞台に出てこなかった。
手紙をやりとり
スペインに戻ることはできなかった
第二次大戦後、
フランコの政権はなくならなかった
連合国はフランコの政権を認めた。
認める国ではチェロは演奏しないという姿勢をとった。
カタルーニャ民謡
・修道院の名前
プラドーから近い
フランス革命後荒れ果てていたが
20世紀になって復興された
◇演奏
カザルス編曲
プラード音楽祭管弦楽団
パブロ・カザルス(指揮)
<ソニー SICC1859>
1950年の録音 カザルス70代
#カニグー
Abbaye Saint-Martin du Canigou(仏)
L'abadia de Sant Mrti del Canigo(カタルーニャ)
997年には建設工事が始まっていた
1009年11月10日、聖別された
12世紀に別の修道院に併合された
フランス革命後、閉鎖された
が、20世紀初頭、1902年にカタルーニャ人である
ペルピニャン司教ジュール=ルイ=マリー・ド・カルサラード・デュ・ポンが再建に着手し、
引き継いだ司教によって1952年から1983年にかけて修復工事を行い、宗教生活を復興した。
◇演奏後
・オーケストラの一人一人がソリスティック(長谷川)
カザルスは1939年にプラドーに亡命した
この時期作曲をおこなった
宗教音楽、教会音楽が全てで、
モンセラート修道院という、
全てモンセラートに捧げられた
ユダヤ人の友人が多かった。
◇演奏
・ブルッフ「コル・ニドライ」
パブロ・カザルス(チェロ)
ランドン・ドナルド(指揮)
<NAXOS 8. 110305>
1936年 カザルス59歳の時の録音
バルセロナが大変だった時代。
・コル・ニドライ(神の日)(長谷川)
・カザルスのチェロは神託のようにおごそかに聞こえた(長谷川)
◇次は
カザルスのレッスンの風景
チェロのレッスンの風景はあまり多くない
ドキュメンタリーCDから
正確には何年かはわからない。
<ソニー XBCR91018>
「カザルスのチェロのレッスン風景(バッハ「無伴奏チェロ組曲第1番」のメヌエット」
マスタークラスでのレッスン
レインボウという言葉が聞き取れたと思うが
フレージングのひとまとまりを呼んでいたよう
音楽は虹の連続という解釈
BGM「カザルスのリハーサル風景「メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」から」
指揮は早くからやっていたが
賛否両論
独特
1小節1小節
レッスン
団員は見通しが効かないと
客演だと時間が限られているから限界がある
トスカニーニから依頼を受けている
◇次は
ベートーヴェン「エグモント」序曲 作品84
パフロ・カザルス(指揮)
1970年カザルス93歳
ライブ録音
#バイオリンの音が重く深刻に迫ってくる印象を受けた
その後のバイオリンのメロディが美しい。最初と対比的。
起伏に富んでいる。
最後は堂々と終わる。
テンポも心地よく、なんら遜色ない。
#エグモントは劇音楽。ゲーテによる同名の戯曲のための劇付付随音楽
作曲は 1809年10月から1810年6月にかけて。6月15日に初演された。
かっこよい(長谷川、東)
パワフル(長谷川、東)
フェスティバルでベートーヴェン
別格の宝物
中でも
第九の
最初の部分のスケッチ
案内役の東がカザルスの言葉を読む
ベートヴェン「「交響曲第6番 ヘ長調 作品 68 「田園」から 第5楽章 「牧歌。嵐のあとの喜びと感謝」」
パブロ・カザルス(指揮)
1969年 カザルス92歳の時の録音
<ソニー SRCR9376/79>
#華やか
#これまで「田園」をこんな印象的に聴いたことはなかった。
拍手もすごかった
心温まる牧歌だった(長谷川)
プラードで暮らしていた。
カザルスはマルタと結婚した
60歳年下。
マルタ21歳
カザルス81歳
マルタはプエルトリコ人だった。
相性がよかった。
1955年初めてプエルトリコに行った。
大変歓迎された
1957年
第一回カザルス音楽祭を
心臓発作を起こした。
指揮代を空席にして
指揮代を空席にして
手術をして回復
その後、マルタと結婚。
家族には反対されたよう。
13-14歳頃にカザルスのチェロを聴いた。
結婚後、チェロを一緒に演奏した。教えたりもした。
カザルスは海が好きだった。
プエルトリコの家も海の近くだった。
日傘をさしながら海辺を歩いていって足跡が砂浜に残っていた
写真に感銘を受けた(長谷川
)
1972年マールボロ音楽祭
翌年73年にもフィンガルの洞窟を録音している
メンデルスゾーン「序曲「フィンガルの洞窟」
パブロ・カザルス(指揮)
1972年カザルス95歳の時のライブ録音
<ソニー SRCR9380/82>
# 録音もクリア
# バイオリンの旋律が華やか
映画を見ているようにいろんなシーンが頭の中に浮かんでくる。それだけイマジネーションを(長谷川)
◇カザルスの死
・1973年に96歳で生涯を閉じる
・9月30日心臓発作
・10月22日午前2時に亡くなる。
・シュナイダーや友人が来て、演奏したりした。
翌朝
プエルトリコの議事堂に安置され、
葬儀には地元の人がたくさんあつまり
その後、世界各地で追悼
1979年11月に
遺体がカタルーニャに戻る
◇次
ホワイト・ハウスでの演奏「鳥の歌」を。
CDとして
1971年にも演奏したが、
ウタントの依頼で国連参加をかき
しきしている。
40年近くチェロを演奏していなが
引かなければいけな
い
ぴーす・pーすとなく
しゅばいぅあーとともの
象徴的な心を打つ19
1971年の有名な国連のスピーチではないが、
1961年10月
わたしはこの曲を、演奏会の最後に
今日まで何百回も
「カザルスのインタビュー」
<ソニー XBCR91018>
「鳥の歌」
カザルス編曲
パブロ・カザルス(チェロ)
ミェチスラフ・ホルショフスキ(ピアノ)
<ソニー SRCZR9363/66>
1961年10月、カザルスがジョン・F・ケネディに招かれて
ホワイト・ハウスで演奏した時のライブ録音
聴いていて宇宙を感じる。祈っているような。最後の音は希望の光だと(長谷川
◇最後の曲
・明るい曲で(増田)
・指揮で
バッハ「ブランデンブルク協奏曲」第4番から
1小節1小節ていねいにやっている
1973年マールボロを訪れる
「最初の4小節を40分かけていた」と
◇リハーサル風景
「ブランデンブルク協奏曲 第4番VWV1049」から「第3楽章」
パブロ・カザルス(指揮)
<ソニー SRCR9373/74>
◇演奏
バッハ「ブランデンブルク協奏曲 第4番 ト長調 BWV1049」から「第3楽章」
パブロ・カザルス(指揮)
<ソニー SRCR9367/70>
1964年カザルス
◇エンディング
パブロ・カザルス(チェロ)
<EMI TOCE-8562/63>
砂浜の写真もそうだが、
パイプの写真も
雰囲気がいい(増田)
パイプを加えていたが火がついていないことも多かった。
1876年生まれだが、昔の人という感じがしない。(増田)
パフロ・カザルス(指揮)
1973年96歳の時のメッセージを案内役東が紹介
「
私はおそらく世界で最高齢の音楽家です。
...
若い男でもあります。
みなさんにもそうあってほしい。
若く
やさしさと愛。
これが世界
愛と平和を私たちの手に
...
」
ジロティ編曲
パブロ・カザルス(チェロ)
オットー・シュルホフ(ピアノ)<EMI TOCE-11571>
・シューベルト「好曲曲第5番変ロ長調D485」から「第4楽章」
パブロ・カザルス(指揮)
<ソニー SRCR9374/79>
■
楽曲聴取メモ 8月16日水曜夜放送
パブロ・カザルス(3)
◇オープニング
バッハをこよなく愛し
平均律をピアノで弾く
大好きな浜辺を散歩し
パイプのコレクション
1876年12月生まれ
1973年 96歳で生涯を閉じるまで
フランスに亡命
平和主義者
人道主義者
96年の生涯
10月22日没後50年を迎える
◇テーマは「コスモポリタンの交友録」
・友は世界に
19世紀
サン・サーンス
ラベル
若い音楽家たちをあたたかく育てた
◇昨日の放送について
感想
(長谷川)
・指揮
・リハーサルの音源が、よりリアルにカザルスを垣間見る
(増田)
・人望
・信念
・平和のメッセージを発信し続けた
◇カザルス50代の小品を。
長谷川陽子の師
井上頼豊(いのうえよりとよ)が初めて買ってもらったのがこれだったという。
次の曲はワーグナー。カザルスはワーグナーが好きだったという。
そしてサン・サーンスの白鳥
いずれも1920年代の録音
◇演奏
パブロ・カザルス(チェロ)
ニコライ・メトニコフ(ピアノ)
<BMGビクター BVCC-7356>
1926年の録音
◇演奏
・ワーグナー「優勝の歌「朝はばら色に輝き」(楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」から)」ウィルヘルミ編曲
パブロ・カザルス(チェロ)
ニコライ・メトにコフ(ピアノ)
<BMGビクター BVCC7356>
1926年の録音
◇演奏
・サン・サーンス「白鳥(組曲「動物の謝肉祭」から)」
パブロ・カザルス(チェロ)
ニコライ・メトニコフ(ピアノ)
<BMGビクター BVCC-7356>
1928年の録音
ポッパーはカザルスのひと世代前のチェリスト。
カザルスは気に入っていた。
サン・サーンスが聞きに来た。
◇演奏
ブラームス「チェロ・ソナタ 第2番 ヘ長調 作品99」から第4楽章
1936年の録音
<BMGビクター BVCC-7356>
・平和主義者
・80歳をすぎて
国連に招かれた
また、ホワイト・ハウスに招かれた。
◇母の影響
・暴力が嫌い
・戦争反対
・弟が召集されそうになったらアルゼンチンに送った。
◇演奏
メンデルスゾーン「ピアノ三重奏曲 第1番 二短調 作品49」から第1楽章
アレグザンダー・シュナイダー(バイオリン)
パブロ・カザルス(チェロ)
ミェチスラフ・ホルショフスキ(ピアノ)
1961年11月 ホワイト・ハウスでのライブ録音
#11月13日
カザルス84歳の時の演奏
◇次は
ペルピニャン音楽祭
1年目がバッハ音楽祭
2年目もバッハと思っていた。
費用を出したレコード会社の意向。
いろいろな作曲家
◇演奏
モーツァルト「「バイオリンとビオラのための協奏交響曲 K.364」から「第3楽章」」
アイザック・スターン(バイオリン)
ウィリアム・プリムローズ(ビオラ)
パブロ・カザルス(指揮)
ペルピニャン音楽祭管弦楽団
1951年の録音
カザルス74歳
<ソニー SRCR9371/72>
◇次の曲目解説
・プラード音楽祭
・ユージン・オーマンディの指揮
・1953年の録音
1945年以来8年ぶりの演奏
正規の録音としては最後
◇演奏
シューマン「「チェロ協奏曲 イ短調 作品129」から「第3楽章」」
パブロ・カザルス(チェロ)
プラード音楽祭管弦楽団
ユージン・オーマンディ(指揮)
<ソニー SRCR9363/66>
1953年
さとうよしおさん
1906年生まれ
1951年40代の時にプラードに行く
パッはをひいた。
日本人最初の弟子
2年半
平井丈一朗(ひらいたけいちろう)さん
1937年生まれ
作曲家ひらいこうざぶろうさんのむすこ
1954年日本音楽コンクールで優勝
ぴあてぃごるすきーの推薦でかざるすに会いに行った。
プエルトリコにいた
1954年がら2年教えを受けた。
このおかがて
1961年4月来日
東京交響楽団とともに
来日インタビュー
desired
come to
many
reasons
I couldn't
But today
my old
same god
do
wish
can say
great joy
to be
among
Japansese peolple
interlect
東京放送の取材、でアナウンサーのインタビュー
第2楽章から
平井丈一朗(チェロ)
東京交響楽団
パフロ・カザルス(指揮)
<ユニバーサル TYGE-60021>
昭和36年6月号
レコード芸術より
井上頼豊の評
より一部
カザルス60歳の時
ドボルザーク「「チェロ協奏曲 ロ短調 作品104」から「第3楽章」」
パブロ・カザルス(チェロ)
ジョージ・セル(指揮)
<EMI TOCE6701/10>
◇明日は平和への祈り
音楽観
人生観
について
案内は東涼子
■
楽曲聴取メモ
パブロ・カザルス(2)
◇オープニング
バッハをこよなく愛する
平均律をピアノで弾く
大好きな海辺を散歩し
パイプ
チェロの神様
指揮者
作曲家
1876年12月カタルーニャに生まれ
1973年に亡くなった
チェロは私の一番古い友達
ファシズムに反対
フランスに亡命
人道主義者
96年の生涯
10月22日没後50年を迎える
◇
・曲が始まる
・曲をバックに司会
この日テーマは「永遠のバッハ」
・少年時代にバッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜を手にして以来
一番にバッハを敬愛していた。
◇ゲスト紹介
長谷川洋子
増田良介
◇昨日の感想
・リハーサル、いろいろな年代の演奏が聴けた(長谷川)
・バッハは特別な存在だった。毎朝、平均律クラビアから2曲選んでピアノで演奏していた。家を清めるんだと(増田)
平均律は
カザルスが父から教えられた。
無伴奏より前。
チェロで組曲を弾くこともあった。夫人の回想による。
・長谷川はバッハの無伴奏チェロ組曲を全曲を録音している。
バッハの直筆は残っていないが、
カザルス版などが残っている。
◇演奏
・バッハ「無伴奏チェロ組曲 第3番 ハ長調 BWV1009」
パブロ・カザルス(Cello)
1936年の録音
59歳の頃
<EMI TOCE-8562/63>
◇演奏終了後
・自信と確信に満ちている演奏(長谷川)
◇次はインタビューの録音
Image of what I didn
what I say in music
<ソニー XBCR91018>
1958-66年のドキュメンタリーの音声が集められている録音
80代
アカデミックで無味乾燥なものではない。
シェイクスピアのよう
でもプロフェッサーではなかった。
ピアニストがショパンを弾くようにわたしはバッハを弾く
バッハにはファンタジーがある。が、それは秩序のあるファンタジー。
プラド音楽祭第1回での録音
◇演奏
バッハ「チェロ・ソナタ 第1番 ト長調 BWV1027」から第1楽章、第4楽章
パブロ・カザルス(Cello)
パウル・バウムガルトナー(P)
1950年の録音
<ソニー SRCR9355/58>
◇プラド音楽祭
・長谷川は行ったことがある
先生として
[プラドは]
ピレネー山脈の麓
太陽の光がパリとも違う。
カタロニアの匂い
石造りの小さな協会で演奏を夜に行った。エアコンもないが
常に満員だった。(長谷川)
この音楽祭は今も続いている
◇始まりについて説明(増田)
カザルスのために作られた音楽祭
1945年
戦後も何もしていない
5年くらい人前で抗議のため演奏しなかった
アレクサンダー・シュナイダー バイオリニスト
バッハ没後200年に参加してほしいとの依頼。
ホルショフスキー(ピアニスト)がシュナイダーに
「アメリカにつれていくのは無理だけど
みんなでカザルスの元に行けばいいではないか」と。
ドイツの戦争で3戦マンが犠牲になったことを忘れていたのではないか
と世界にチアする不信感があったのでは。
説得の結果、カザルスも承諾した
シュナイダーはユダヤ人で姉妹と母をアウシュビッツで失っている。
それもあったのではないか。
◇1950年第1回プラド音楽祭の演奏を二曲続けて
二曲ともカザルスの指揮
・バッハ「チェンバロ組曲 第5番 BWV1056」から第2楽章
クララ・ハスキル(P)
パブロ・カザルス(Cond)
プラド音楽祭管弦楽団
1950年の録音
<ソニー SRCR9367/70>
・バッハ「オーボエとバイオリンのための協奏曲 」から第1楽章
アイザック・スターン(Vn)
マルセル・タビュトー(Ob)
パブロ・カザルス(Cond)
プラド音楽祭管弦楽団
1950年の録音
<ソニー SRCR9367/70>
◇演奏後
・クララ・ハスキルの音がきれい(長谷川)
◇次は「マールボロ音楽祭」での演奏
第一回のプラド音楽祭でカザルスの心境にも変化があったようで、
この後カザルスは、いろいろなところに出て行く。
マールボロ音楽祭は
1951年に米バーモント州で、
アドルフ・ブッシュ、
ルドルフ・ゼルキンらがはじめた音楽祭
カザルスは1960年に初参加し、翌年は参加しなかったものの、1962年以来毎年参加し、
指揮したり、マスタークラスで教えたりした。
演奏は1966年の録音でカザルス89歳の時のもの
◇演奏
アリア
ジーグ
パブロ・カザルス(指揮)
1966年7月の録音
カザルス89歳の時
<ソニー SRCR9367/70>
◇演奏
バッハ「ブランデンブルグ協奏曲」
第5番
オーケストラの練習風景
1964年のもの
<ソニー XBCR91019>
◇演奏
バッハ「ブランデンブルク協奏曲 第5番 ニ長調 BWV1050」から第1楽章、第3楽章
オーナルフ・ガルブランセン(Fl)
アレグザンダー・シュナイダー(Vn)
ルドルフ・ゼルキン(P)
パブロ・カザルス(Cond)
<ソニー SRCR9367/70>
1964年のもの
カザルス87歳の時
第3楽章のリズム感が独特だったが、カザルスが「責任をとる」と言ったのかな、と(増田)
◇明日の予告
コスモポリタンの交友録
https://twitter.com/hakumai_1804/status/1691424214195240960?s=20
カザルス
楽曲聴取メモ 2023年8月14日月曜夜 NHK-FM
◇オープニング
・96年の生涯
・膨大なパイプコレクション
・海岸の散歩
・10月22日没後50年
◇カザルスってどんな人?
- チェロに新たな息吹を吹き込んだチェロの神様
# 1876.12.29 - 1973.10.22)
◇出演者紹介
・音楽評論家の増田良介
◇長谷川陽子の経歴を紹介
・番組「おしゃべりクラシック」に出演
・桐朋学園大学に進学
・フィンランドに留学
・昨年デビュー35周年
・教えを受けたいのうえよりとよ(井上頼豊)さん
・井上頼豊はカザルス受けたチェリスト
カザルスによってチェロに目覚めた長谷川
両親はアマチュアのバイオリニスト
カザルスが亡くなった時、両親がカザルスの演奏を聴かせてくれた。
#3歳の時
# 長谷川陽子1970.1.23 -
---
◇カザルスの紹介
・20世紀最大の音楽家の一人
・いろいろな功績がある。
・初期のアコースティック録音。蓄音機の前で演奏したもの
◇演奏
・ルビンシテイン「ヘ調のメロディ」
# https://ml.naxos.jp/work/8565716
◇演奏
・バッハ「無伴奏チェロ組曲第3番」
◇カザルスの生まれたスペイン、カタルーニャ地方について
・言語はスペイン語よりはフランス語に近い独自の言語
◇カザルスについて
・パウはカタルーニャ語の名前
・スペイン内戦を逃れ1939年フランスに亡命。
・1939-55年までフランスのプラードに住んでいた。
・プラードはもともとカタルーニャだったが、18世紀にフランスに編入された。カタルーニャ語も通じる
#https://fr.wikipedia.org/wiki/Prades_(Pyr%C3%A9n%C3%A9es-Orientales)
◇次は鳥の歌
・1950年の録音
・プラード音楽祭管弦楽団(演奏)
・カザルス編曲
https://en.wikipedia.org/wiki/El_cant_dels_ocells
◇演奏
・1番 バッハ無伴奏チェロ組曲
カザルスとの関係
深い
出会い(評論家)
・13歳の頃
カザルスは故郷を離れてバルセロナへ
・カフェでバイト
・普通サイズのチェロを買ってもらった。
◇体験
・港の近くに古い楽譜店に立ち寄った
・古い楽譜
- バッハの無伴奏チェロ組曲
- チェロだけのための
#バルセロナ、港の近くの店でたまたま見つけた楽譜
#El Cant dels Ocells
[それまで]まったく評価されてなかった無伴奏チェロ組曲
◇どんな録音を?
一番有名な[ものは]
1938年のもの
この前後、
38年末から
無伴奏チェロ組曲を録音している
それには理由がある
この時期はスペイン内戦の時期で
ほとんど国内で演奏する機会がない。
カザルスは独裁に反対していた関係で、
ドイツ、イタリアでも演奏ができない。
そこで、録音に活動の場をいいだしなのではないか、と。
(評論家)
◇演奏
1938年の録音
https://www.youtube.com/watch?v=LMeIVyTBk2M
CD(NAXOS)https://ml.naxos.jp/album/232675
※ただし放送で使ったのはEMI
<EMI TOCE-8562/63>
#EMIクラシックスバスと100シリーズに入っている。
HMVの説明文より
「もはや説明の必要のない名盤。バッハの『無伴奏』の永遠の名演というだけでなく、チェロという楽器の価値そのものを高め、その後のチェロ奏者全てに多大な影響を与えた、計り知れない意義を持つ録音です。 オリジナル楽器全盛の現代に聴いても、その強大な説得力は全く不滅。巨人カザルスが文字通り全身全霊を込めた、太陽にも大地にもたとえられる絶対的な力はいつまでも衰えることはありません。レコード芸術推薦盤。仏ディアパソン・ドール賞受賞。(東芝EMI)」
「バッハの無伴奏チェロ組曲の存在を世界に知らしめ、多くの音楽家とファンの耳目を集めさせた歴史的な名盤。無伴奏の録音の歴史はここから始まっている。好むと好まざるとにかかわらず、聴かねばならない一枚だ。(CDジャーナル データベースより) 」
1938年 60代の演奏
◇感想
・「王様の演奏」(長谷川)
・「迫力がすごい」(増田)
13歳で出会ってから数年後、20世紀の初めに初演した。
カフェで弾いているとアルベニスが聞きにきた。
1899年にパリラムルー管弦楽団
シャルル・ラムルーに会うことができた。
彼のチェロを聴いて涙を浮かべた。
ラムルー指揮の管弦楽団で共演
この後カザルスが知られるようになる。
ラムルーはその年亡くなってしまう。
カザルスは人の出会いに恵まれた(増田)
次の曲は当時有名な三人の演奏家による演奏
経緯
別荘で
ティボー
カザルス
テニスコートがあり、三人がテニス
三人のアンサンブルは
1906年が最初
好評で1936年まで
◇演奏
・ベートーベン「ピアノ三重奏曲 変ロ長調 作品97「大公」から「第1楽章」
ジャック・ティボー(Vn)
パブロ・カザルス(Cello)
1928年の録音
◇演奏終了後
・カザルス、50代の初め頃の演奏
・カザルスが主導権を握っているなと感じた(長谷川)
(通常はピアノ)
・テンポが遅くなったり速くなったり、だが自然(増田)
コルトーが指揮
1929年
結果として最後の録音
カザルス管弦楽団
オーケストラパウカザルス
20年後に故郷のカタルーニャに戻り自分で作ったオーケストラ。
数年後に勤労者音楽協会を作り
年6ペセタ 1ドル
月収500ペセタ以下
16年間
録音はとても少し
◇演奏
・ブラームス「バイオリンとチェロのための二重協奏曲 イ短調 作品102」から第2楽章
ジャック・ティボー(Vn)
パブロ・カザルス(Cello)
1929年の録音
<EMI TOCE-6701/10>
・香りが高い
・tuttiのあとにはいってくるソリスト二人の存在感(長谷川)
・音の厚みがすごい(長谷川)
ーー
つづいては
増田の紹介
◇指揮者としてのカザルス
「かたやぶり」
反発もかなりあった
◇リハーサル
1923年パウ・カザルス
エイドリアン・
えいどりあんぼーるどえいしきしゃ
カザルスは一回のコンサートのために
9回リハーサルした
なぜ?
とおしのあと
1小節毎検討
1960年代
カザルス80代
米マールボロ音楽祭
バッハ「ブランデンブルク協奏曲 第3番 ト長調 BWV1048」から第3楽章
パブロ・カザルス(指揮)
<ソニー SRCR9367/70>
◇感想
・元気(増田)
80代
・頭の中で理想が完璧に鳴っているのだろう(長谷川)
情熱と時間が必要だった
全ての音に意味を持たせていた
歴然がくぜんとオケが変わった
87歳にして[この指導は]
すべて考えていることを伝えるのは
精神的にも肉体的にも[大変だったろう]
・賛否両論あるかもしれないけどわたしはこの練習を受けてみたい。ものすごく勉強になる(長谷川)
◇演奏
バッハ「ブランデンブルク協奏曲 第3番 ト長調 BWV1048」から第3楽章
パブロ・カザルス(指揮)
1964年の録音
・すごいエネルギー(長谷川)
リハーサルと比べると[差が歴然]
ニュアンスが存在
[87歳にして]まとめあげるエネルギー[が脅威]
ーーー
◇次は
(増田)
ブリュッツマッハ版に差し替えた。
演奏される機会は減った
がカザルスのよい演奏が伝わる
◇演奏
ボッケリーニ(グリュッツマッハー版)「チェロ協奏曲 変ロ長調」から第3楽章
パブロ・カザルス(Cello)
ランドン・ドナルド(指揮)
1936年の録音
<EMI TOCE-6701/10>
単独のコンチェルトは聴いて
上手い
品があって艶があって
カデンツァはカザルス作曲のものかも
技術的に高度なカデンツァがだが
あたかもたやすく弾いている
ポジティブな面が出ている演奏(増田)
◇あすの予告
永遠のバッハ
わがこころの音楽
バッハの演奏を集めて
ゲストも同じ