パブロ・カザルス(4)
◇オープニング
・ピアノ
・海辺
・膨大な数のコレクションを持つパイプ
トレードマーク
・チェロの神様
・情熱的な指揮者
・1876年12月に生まれ
・1973年96歳で生涯を閉じる
・練習を怠ることがなく
「一番古い友達」
・独裁政権
ファシズムに反対
・フランスに亡命
慕う人々が世界中から
・10月22日没後50年を迎える
◇最終日
・平和への想い
・音楽へこめられた情熱
・差別や戦争に反対
・平和主義者として
生涯音楽に情熱を注いだ
・1時間40分
・案内役は東涼子
◇二人のゲスト
音楽評論家の増田良介
◇昨日までの感想
・演奏が素晴らしいのはもちろんだが
いろんな角度から知ることができた(長谷川)
・
平和主義者としても有名
1930年代スペイン内戦
共和政からフランコと人民戦線派との戦争
カタルーニャは反対
難民として亡命する
フランスのプラードに
第二次大戦
ドイツがフランスに攻めてくる
やろうと思えばできたが、プラドに止まった。
できるだけ支援したいと
戦後数年間カザルスは表舞台に出てこなかった。
手紙をやりとり
スペインに戻ることはできなかった
第二次大戦後、
フランコの政権はなくならなかった
連合国はフランコの政権を認めた。
認める国ではチェロは演奏しないという姿勢をとった。
カタルーニャ民謡
・修道院の名前
プラドーから近い
フランス革命後荒れ果てていたが
20世紀になって復興された
◇演奏
カザルス編曲
プラード音楽祭管弦楽団
パブロ・カザルス(指揮)
<ソニー SICC1859>
1950年の録音 カザルス70代
#カニグー
Abbaye Saint-Martin du Canigou(仏)
L'abadia de Sant Mrti del Canigo(カタルーニャ)
997年には建設工事が始まっていた
1009年11月10日、聖別された
12世紀に別の修道院に併合された
フランス革命後、閉鎖された
が、20世紀初頭、1902年にカタルーニャ人である
ペルピニャン司教ジュール=ルイ=マリー・ド・カルサラード・デュ・ポンが再建に着手し、
引き継いだ司教によって1952年から1983年にかけて修復工事を行い、宗教生活を復興した。
◇演奏後
・オーケストラの一人一人がソリスティック(長谷川)
カザルスは1939年にプラドーに亡命した
この時期作曲をおこなった
宗教音楽、教会音楽が全てで、
モンセラート修道院という、
全てモンセラートに捧げられた
ユダヤ人の友人が多かった。
◇演奏
・ブルッフ「コル・ニドライ」
パブロ・カザルス(チェロ)
ランドン・ドナルド(指揮)
<NAXOS 8. 110305>
1936年 カザルス59歳の時の録音
バルセロナが大変だった時代。
・コル・ニドライ(神の日)(長谷川)
・カザルスのチェロは神託のようにおごそかに聞こえた(長谷川)
◇次は
カザルスのレッスンの風景
チェロのレッスンの風景はあまり多くない
ドキュメンタリーCDから
正確には何年かはわからない。
<ソニー XBCR91018>
「カザルスのチェロのレッスン風景(バッハ「無伴奏チェロ組曲第1番」のメヌエット」
マスタークラスでのレッスン
レインボウという言葉が聞き取れたと思うが
フレージングのひとまとまりを呼んでいたよう
音楽は虹の連続という解釈
BGM「カザルスのリハーサル風景「メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」から」
指揮は早くからやっていたが
賛否両論
独特
1小節1小節
レッスン
団員は見通しが効かないと
客演だと時間が限られているから限界がある
トスカニーニから依頼を受けている
◇次は
ベートーヴェン「エグモント」序曲 作品84
パフロ・カザルス(指揮)
1970年カザルス93歳
ライブ録音
#バイオリンの音が重く深刻に迫ってくる印象を受けた
その後のバイオリンのメロディが美しい。最初と対比的。
起伏に富んでいる。
最後は堂々と終わる。
テンポも心地よく、なんら遜色ない。
#エグモントは劇音楽。ゲーテによる同名の戯曲のための劇付付随音楽
作曲は 1809年10月から1810年6月にかけて。6月15日に初演された。
かっこよい(長谷川、東)
パワフル(長谷川、東)
フェスティバルでベートーヴェン
別格の宝物
中でも
第九の
最初の部分のスケッチ
案内役の東がカザルスの言葉を読む
ベートヴェン「「交響曲第6番 ヘ長調 作品 68 「田園」から 第5楽章 「牧歌。嵐のあとの喜びと感謝」」
パブロ・カザルス(指揮)
1969年 カザルス92歳の時の録音
<ソニー SRCR9376/79>
#華やか
#これまで「田園」をこんな印象的に聴いたことはなかった。
拍手もすごかった
心温まる牧歌だった(長谷川)
プラードで暮らしていた。
カザルスはマルタと結婚した
60歳年下。
マルタ21歳
カザルス81歳
マルタはプエルトリコ人だった。
相性がよかった。
1955年初めてプエルトリコに行った。
大変歓迎された
1957年
第一回カザルス音楽祭を
心臓発作を起こした。
指揮代を空席にして
指揮代を空席にして
手術をして回復
その後、マルタと結婚。
家族には反対されたよう。
13-14歳頃にカザルスのチェロを聴いた。
結婚後、チェロを一緒に演奏した。教えたりもした。
カザルスは海が好きだった。
プエルトリコの家も海の近くだった。
日傘をさしながら海辺を歩いていって足跡が砂浜に残っていた
写真に感銘を受けた(長谷川
)
1972年マールボロ音楽祭
翌年73年にもフィンガルの洞窟を録音している
メンデルスゾーン「序曲「フィンガルの洞窟」
パブロ・カザルス(指揮)
1972年カザルス95歳の時のライブ録音
<ソニー SRCR9380/82>
# 録音もクリア
# バイオリンの旋律が華やか
映画を見ているようにいろんなシーンが頭の中に浮かんでくる。それだけイマジネーションを(長谷川)
◇カザルスの死
・1973年に96歳で生涯を閉じる
・9月30日心臓発作
・10月22日午前2時に亡くなる。
・シュナイダーや友人が来て、演奏したりした。
翌朝
プエルトリコの議事堂に安置され、
葬儀には地元の人がたくさんあつまり
その後、世界各地で追悼
1979年11月に
遺体がカタルーニャに戻る
◇次
ホワイト・ハウスでの演奏「鳥の歌」を。
CDとして
1971年にも演奏したが、
ウタントの依頼で国連参加をかき
しきしている。
40年近くチェロを演奏していなが
引かなければいけな
い
ぴーす・pーすとなく
しゅばいぅあーとともの
象徴的な心を打つ19
1971年の有名な国連のスピーチではないが、
1961年10月
わたしはこの曲を、演奏会の最後に
今日まで何百回も
「カザルスのインタビュー」
<ソニー XBCR91018>
「鳥の歌」
カザルス編曲
パブロ・カザルス(チェロ)
ミェチスラフ・ホルショフスキ(ピアノ)
<ソニー SRCZR9363/66>
1961年10月、カザルスがジョン・F・ケネディに招かれて
ホワイト・ハウスで演奏した時のライブ録音
聴いていて宇宙を感じる。祈っているような。最後の音は希望の光だと(長谷川
◇最後の曲
・明るい曲で(増田)
・指揮で
バッハ「ブランデンブルク協奏曲」第4番から
1小節1小節ていねいにやっている
1973年マールボロを訪れる
「最初の4小節を40分かけていた」と
◇リハーサル風景
「ブランデンブルク協奏曲 第4番VWV1049」から「第3楽章」
パブロ・カザルス(指揮)
<ソニー SRCR9373/74>
◇演奏
バッハ「ブランデンブルク協奏曲 第4番 ト長調 BWV1049」から「第3楽章」
パブロ・カザルス(指揮)
<ソニー SRCR9367/70>
1964年カザルス
◇エンディング
パブロ・カザルス(チェロ)
<EMI TOCE-8562/63>
砂浜の写真もそうだが、
パイプの写真も
雰囲気がいい(増田)
パイプを加えていたが火がついていないことも多かった。
1876年生まれだが、昔の人という感じがしない。(増田)
パフロ・カザルス(指揮)
1973年96歳の時のメッセージを案内役東が紹介
「
私はおそらく世界で最高齢の音楽家です。
...
若い男でもあります。
みなさんにもそうあってほしい。
若く
やさしさと愛。
これが世界
愛と平和を私たちの手に
...
」
ジロティ編曲
パブロ・カザルス(チェロ)
オットー・シュルホフ(ピアノ)<EMI TOCE-11571>
・シューベルト「好曲曲第5番変ロ長調D485」から「第4楽章」
パブロ・カザルス(指揮)
<ソニー SRCR9374/79>