奥田佳道のコメント(楽曲聴取メモ)

2023年11月25日土曜朝

NHKのラジオで

チャイコフスキーの楽曲を聴いた。

奥田佳道による解説を記録に残しておく。

 

最初の曲は「ピアノ協奏曲 第1番 変ロ長調 作品23」

 

解説:

この曲は1874年秋に作曲が開始された。

チャイコフスキーこの時34歳、

モスクワ音楽院の教師をしていた

 

当時の院長はニコライ・ルビンステイン

歴史的なピアニストであり、彼の恩人でもある。チャイコフスキーの活動に手を差し伸べた。

 

チャイコスフキーはその恩師に献呈すべく曲を書き、彼の前で弾いた。

が第一楽章が終わったところで

ニコライは手厳しく批判した。書き直すべきだと語ったと伝えられている。

なぜ、酷評したか?

理由はいくつか考えられる。

1)曲の作りが斬新だった。

冒頭部分は、現代のわたしたちにとっては

こころおどる調べでもあるが

1860-1870年代にかけての

ロシアにおけるピアノ協奏曲の考え方は保守的だった。

それで、チャイコフスキーならではの

ドラマティックな響きや構成がネガティブにみられたのかも

しれない。

しかし、彼の批判は

曲の魅力、独創性を別の角度から言い当てたとも言える

 

2)初稿だったこと。

 

3)曲の制作を恩師に相談しなかったため、

彼の機嫌をそこねた。

 

その後、チャイコフスキー

愛弟子のピアニスト

ニコライ・タネーエフに曲を捧げるべく創作を続けた。だが、実は最初からタネーエフのために書こうとしていたのでは、との文献もある。

いずれにしても、チャイコフスキーは初演のピアニストを探し、その結果

ハンス・フォン・ビューローに決まる。

米初演は

1875年10月に

ボストンで、

ビューローのピアノ

ベンジャミン・ジョン・ラングの指揮で

その後、

N.Y

サンクトペテルブルク

モスクワ

でも演奏された。

モスクワ初演のピアニストはタネーエフ

指揮は恩人ニコライ・ルビンステインだった。

 

曲を二度大きく改訂し、現在のバージョンは1887年に完成

 

第2楽章には

フランスのシャンソン

引用されている

 

第3楽章

ウクライナのトレパーク舞曲をベースとした音楽

 

放送は

アルゲリッチの演奏で

管弦楽バイエルン放送交響楽団

キリル・コンドラシンの指揮、

1980年2月

ミュンヘンでのライブ録音

アルゲリッチ32歳の時の演奏

<ユニバーサル  UCCP7003>

 

「アンダンテ・カンタービレ

イタリア語の音楽用語がそのまま曲名になった。

オリジナルは弦楽四重奏曲第1番作品11の第2楽章。

チャイコフスキーは妹アレクサンドラが嫁いだウクライナのカミアンカ(ロシア名

カメンカ)を何度も訪れ、彼の地の民謡に親しんでいる。

 

イヴリー・ギトリスのバイオリン

いわさきしゅく(岩崎淑)のピアノ

<ファンハウス  FHCE2026>

 

最後にピアノ曲を。

1876年に書かれた

『四季』から11月トロイカ

サンクトペテルブルクで創刊された月刊の音楽誌が毎月一曲、新曲を掲載することなり、

その音楽が、気鋭の作曲家だったチャイコフスキーに委ねられた。

 

(補足:

11月「トロイカ」は、

アレグロモデラート、ホ長調(中間部はト長調

4分の4拍子

ニコライ・ネクラーソフの詩による。

この曲集でもっともよく知られている曲。

ペンタトニックを用いている。

引用元:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%AD%A3_(%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC)

四季 作品37bから11月「トロイカ

作曲:チャイコフスキー

ピアノ:上原彩子

<キングレコード  KICC1501>

(補足:放送は、アルバム

上原彩子モーツァルトチャイコフスキー』より

2020年1月22日発売

アルバムには四季が全曲収録されている

演奏は2019年10月30、31日 ヤマハホール

使用楽器は YAMAHA CFX との記載がある

https://www.kingrecords.co.jp/cs/g/gKICC-1501/

 

上原彩子(1980-)

トロイカについての上原自身の解説

https://barocksaal.com/news/5465/

がある)