カザルス
楽曲聴取メモ 2023年8月14日月曜夜 NHK-FM
◇オープニング
・96年の生涯
・膨大なパイプコレクション
・海岸の散歩
・10月22日没後50年
◇カザルスってどんな人?
- チェロに新たな息吹を吹き込んだチェロの神様
# 1876.12.29 - 1973.10.22)
◇出演者紹介
・音楽評論家の増田良介
◇長谷川陽子の経歴を紹介
・番組「おしゃべりクラシック」に出演
・桐朋学園大学に進学
・フィンランドに留学
・昨年デビュー35周年
・教えを受けたいのうえよりとよ(井上頼豊)さん
・井上頼豊はカザルス受けたチェリスト
カザルスによってチェロに目覚めた長谷川
両親はアマチュアのバイオリニスト
カザルスが亡くなった時、両親がカザルスの演奏を聴かせてくれた。
#3歳の時
# 長谷川陽子1970.1.23 -
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◇カザルスの紹介
・20世紀最大の音楽家の一人
・いろいろな功績がある。
・初期のアコースティック録音。蓄音機の前で演奏したもの
◇演奏
・ルビンシテイン「ヘ調のメロディ」
# https://ml.naxos.jp/work/8565716
◇演奏
・バッハ「無伴奏チェロ組曲第3番」
◇カザルスの生まれたスペイン、カタルーニャ地方について
・言語はスペイン語よりはフランス語に近い独自の言語
◇カザルスについて
・パウはカタルーニャ語の名前
・スペイン内戦を逃れ1939年フランスに亡命。
・1939-55年までフランスのプラードに住んでいた。
・プラードはもともとカタルーニャだったが、18世紀にフランスに編入された。カタルーニャ語も通じる
#https://fr.wikipedia.org/wiki/Prades_(Pyr%C3%A9n%C3%A9es-Orientales)
◇次は鳥の歌
・1950年の録音
・プラード音楽祭管弦楽団(演奏)
・カザルス編曲
https://en.wikipedia.org/wiki/El_cant_dels_ocells
◇演奏
・1番 バッハ無伴奏チェロ組曲
カザルスとの関係
深い
出会い(評論家)
・13歳の頃
カザルスは故郷を離れてバルセロナへ
・カフェでバイト
・普通サイズのチェロを買ってもらった。
◇体験
・港の近くに古い楽譜店に立ち寄った
・古い楽譜
- バッハの無伴奏チェロ組曲
- チェロだけのための
#バルセロナ、港の近くの店でたまたま見つけた楽譜
#El Cant dels Ocells
[それまで]まったく評価されてなかった無伴奏チェロ組曲
◇どんな録音を?
一番有名な[ものは]
1938年のもの
この前後、
38年末から
無伴奏チェロ組曲を録音している
それには理由がある
この時期はスペイン内戦の時期で
ほとんど国内で演奏する機会がない。
カザルスは独裁に反対していた関係で、
ドイツ、イタリアでも演奏ができない。
そこで、録音に活動の場をいいだしなのではないか、と。
(評論家)
◇演奏
1938年の録音
https://www.youtube.com/watch?v=LMeIVyTBk2M
CD(NAXOS)https://ml.naxos.jp/album/232675
※ただし放送で使ったのはEMI
<EMI TOCE-8562/63>
#EMIクラシックスバスと100シリーズに入っている。
HMVの説明文より
「もはや説明の必要のない名盤。バッハの『無伴奏』の永遠の名演というだけでなく、チェロという楽器の価値そのものを高め、その後のチェロ奏者全てに多大な影響を与えた、計り知れない意義を持つ録音です。 オリジナル楽器全盛の現代に聴いても、その強大な説得力は全く不滅。巨人カザルスが文字通り全身全霊を込めた、太陽にも大地にもたとえられる絶対的な力はいつまでも衰えることはありません。レコード芸術推薦盤。仏ディアパソン・ドール賞受賞。(東芝EMI)」
「バッハの無伴奏チェロ組曲の存在を世界に知らしめ、多くの音楽家とファンの耳目を集めさせた歴史的な名盤。無伴奏の録音の歴史はここから始まっている。好むと好まざるとにかかわらず、聴かねばならない一枚だ。(CDジャーナル データベースより) 」
1938年 60代の演奏
◇感想
・「王様の演奏」(長谷川)
・「迫力がすごい」(増田)
13歳で出会ってから数年後、20世紀の初めに初演した。
カフェで弾いているとアルベニスが聞きにきた。
1899年にパリラムルー管弦楽団
シャルル・ラムルーに会うことができた。
彼のチェロを聴いて涙を浮かべた。
ラムルー指揮の管弦楽団で共演
この後カザルスが知られるようになる。
ラムルーはその年亡くなってしまう。
カザルスは人の出会いに恵まれた(増田)
次の曲は当時有名な三人の演奏家による演奏
経緯
別荘で
ティボー
カザルス
テニスコートがあり、三人がテニス
三人のアンサンブルは
1906年が最初
好評で1936年まで
◇演奏
・ベートーベン「ピアノ三重奏曲 変ロ長調 作品97「大公」から「第1楽章」
ジャック・ティボー(Vn)
パブロ・カザルス(Cello)
1928年の録音
◇演奏終了後
・カザルス、50代の初め頃の演奏
・カザルスが主導権を握っているなと感じた(長谷川)
(通常はピアノ)
・テンポが遅くなったり速くなったり、だが自然(増田)
コルトーが指揮
1929年
結果として最後の録音
カザルス管弦楽団
オーケストラパウカザルス
20年後に故郷のカタルーニャに戻り自分で作ったオーケストラ。
数年後に勤労者音楽協会を作り
年6ペセタ 1ドル
月収500ペセタ以下
16年間
録音はとても少し
◇演奏
・ブラームス「バイオリンとチェロのための二重協奏曲 イ短調 作品102」から第2楽章
ジャック・ティボー(Vn)
パブロ・カザルス(Cello)
1929年の録音
<EMI TOCE-6701/10>
・香りが高い
・tuttiのあとにはいってくるソリスト二人の存在感(長谷川)
・音の厚みがすごい(長谷川)
ーー
つづいては
増田の紹介
◇指揮者としてのカザルス
「かたやぶり」
反発もかなりあった
◇リハーサル
1923年パウ・カザルス
エイドリアン・
えいどりあんぼーるどえいしきしゃ
カザルスは一回のコンサートのために
9回リハーサルした
なぜ?
とおしのあと
1小節毎検討
1960年代
カザルス80代
米マールボロ音楽祭
バッハ「ブランデンブルク協奏曲 第3番 ト長調 BWV1048」から第3楽章
パブロ・カザルス(指揮)
<ソニー SRCR9367/70>
◇感想
・元気(増田)
80代
・頭の中で理想が完璧に鳴っているのだろう(長谷川)
情熱と時間が必要だった
全ての音に意味を持たせていた
歴然がくぜんとオケが変わった
87歳にして[この指導は]
すべて考えていることを伝えるのは
精神的にも肉体的にも[大変だったろう]
・賛否両論あるかもしれないけどわたしはこの練習を受けてみたい。ものすごく勉強になる(長谷川)
◇演奏
バッハ「ブランデンブルク協奏曲 第3番 ト長調 BWV1048」から第3楽章
パブロ・カザルス(指揮)
1964年の録音
・すごいエネルギー(長谷川)
リハーサルと比べると[差が歴然]
ニュアンスが存在
[87歳にして]まとめあげるエネルギー[が脅威]
ーーー
◇次は
(増田)
ブリュッツマッハ版に差し替えた。
演奏される機会は減った
がカザルスのよい演奏が伝わる
◇演奏
ボッケリーニ(グリュッツマッハー版)「チェロ協奏曲 変ロ長調」から第3楽章
パブロ・カザルス(Cello)
ランドン・ドナルド(指揮)
1936年の録音
<EMI TOCE-6701/10>
単独のコンチェルトは聴いて
上手い
品があって艶があって
カデンツァはカザルス作曲のものかも
技術的に高度なカデンツァがだが
あたかもたやすく弾いている
ポジティブな面が出ている演奏(増田)
◇あすの予告
永遠のバッハ
わがこころの音楽
バッハの演奏を集めて
ゲストも同じ